主な役職

下の図も参考にされると分かりやすいかと思います。

[総大(隊)将]
よく耳にするかと思うが、これが一番上の役職となり、大名自ら出陣する場合はその大名自身が総大将となる。

[侍大(隊)将]
大規模な合戦の場合、本隊といくつかの隊に分かれることがあるが、本隊と別の隊を率いる大(隊)将を侍大(隊)将という。多くの場合、重臣クラスのものが採用される。また旗もその大(隊)将のものにある程度統一される。 侍大(隊)将は徳川家の場合は旗頭と言われ、三河時代の家康の場合、西三河の旗頭は石川家成、東三河の旗頭は酒井忠次となって軍団を組織していた。

[足軽大(隊)将]
軍勢の中心となる足軽隊を統率する役職。足軽大(隊)将以外にも槍大(隊)将、弓大(隊)将等あるが、これらは戦国もかなり後期になってから(約1580以降?)の役職かも知れません。

[軍(武者)奉行]
合戦において大将へ助言、情報管理が主な仕事か。有名な軍(武者)奉行として朝倉宗滴が上げられる。重要な奉行であるため主に侍大将クラスのものが務めた。軍(武者)奉行の下には旗奉行、鑓奉行、小荷駄奉行が置かれた。

[軍目付(軍監・大横目)]
軍規違反がないか監督したり、合戦時に誰が手柄を立てているのかをチェックするのが主な仕事。

[使番]
伝令が主な仕事。武田家では”むかで”の旗、徳川家では”五”の旗を使用。

[近習・旗本・馬廻]
主に総大将の周りを固め防御する、所謂親衛隊のような存在。大名家により呼び名が違い、徳川では旗本、織田では馬廻と呼ばれた。 ちなみに桶狭間の合戦の頃の織田信長は馬廻と呼ばれるものが他の大名より圧倒する人数がいたようでおおよそ七百名と言われています。通常は二、三百名ほど。

軍(武者)奉行と大将
軍(武者)奉行は主に大将へ助言をしたり、時には指揮を取ったりとかなり重要な役職であったようなのですが、では大将は何をしていたのか?テレビや漫画の多くは大将御自ら軍配や刀を取って指揮しているが、実際はどうだったのだろう。大将もときには声を張り上げ指揮をしたのだろうか?
おそらくはケースバイケース・・・。その大名家によっても違いがあったと思われるし、時代によっても違いがあったと思う。
昭和の大日本帝国軍では参謀本部というのがあり、それは19世紀のプロイセン軍のものを真似たものらしいが、作戦の立案と提案を専門(基本、指揮権はないし責任も負わない。ただし東条英機は例外・・とちょっと曖昧)に行っていたようで、これに軍(武者)奉行はやや近かったのかな?という気もする。
そして最終的な判断は大将がする。

おそらくは・・軍(武者)奉行の情報(助言)を元に大将や重臣達が協議して行動を決める・・・実際に指揮し命令を下すのは、その時々でベストと思える人が行ったという感じだったのでしょう。


合戦における配置1

[川中島合戦屏風の武田軍の配置を参考]
合戦における配置2


参考書籍

百姓から見た戦国大名 ちくま新書
この本を読むと、戦国当時の百姓達のイメージが変わるかも知れません。百姓達は決して殿様に頭を下げてばかりいて、弱弱しく生きていたのではないことが分かり、また当時の合戦の多くが領民を飢餓から救うために行われたと読み取ることが出来ます。当時、多くの一般庶民は餓えていたんですねぇ・・・。かなり参考になります。

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関連サイト

戦国時代の合戦データベース
姉妹サイト。だいぶネタつきましたが(笑)、日本各地の戦国合戦について簡単に紹介しています。
氏別合戦表
武田氏
桑原城の合戦より〜田野の合戦
織田氏
小豆坂の合戦より〜


みんなで作る戦国マップ

戦国合戦マップ
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動画でお城、古戦場

当サイトで撮影したお城、古戦場を動画で紹介。Youtube版。