戦国、二人の英傑の悪口合戦

 武田信玄が三方ヶ原で徳川家康を蹴散らした後、いよいよ織田信長と全面対決かと思った矢先、武田信玄は没してしまう。実際もう少し武田信玄が長生きをしたら、ひょっとして、ひょっとすると?なんて考えてしまう・・・・。
 実際の合戦はなかったが、合戦前に二人が悪口の言い合いをしているので、どっちに軍配が上がるか判断して下さい。(笑)
織田信長と武田信玄”
織田信長は『(仮)真仁のなんとなくブログしてみる。』より

武田信玄の言い分

武田信玄が三方ヶ原の合戦の後、当時の将軍”足利義昭”の側近、上野清信 に送った手紙で日付は1月7日。
5つの信長の悪事について書いている。

1:比叡山を焼いて、お宝を奪い取ってとんでもないヤツだ。 それに勅許もなしに昇殿して、高官に上っている。
2:匹夫にもかかわらず、公家に命令をしているし、どんでもなく無礼なヤツだ。
3:洛中洛外に税金をかけて、財宝も掠め取るのは大罪だ。
4:高槻、今中で騒ぎが起こったときに一旦許した者に対し、騙して虐殺を行う非道なヤツだ!
5:先年、朝倉と対峙して、講和したにもかかわらず、翌年には神社仏閣を焼き払っている。

織田信長の言い分

信玄に言われて黙っている信長ではなかった。彼も当時の将軍”足利義昭”の側近、上野清信に手紙を送っている。 日付は1月27日。

1:信玄はこともあろうに、父親の信虎を追放した。そのために餓えているようである。
2:父親だけでなく、息子の太郎義信を罪もないのに毒殺している。
3:信玄は出家しているにもかかわらず、他国を侵略している。
4:比叡山の坊主は戒めを破り、目に余る行いばかりしていたから、燃え尽きてしまったのだ。天罰と言えよう。
5:今川氏真は甥になるのに、その国を武田信玄は奪い取ってしまった。許せることではない。
6:武田信玄は今川だけでなく、北条をせめたり、諏訪頼重も騙して殺している。

お互いに攻めたことの言い分を書いて送っているのであるが、上野清信だけでなく、豪族や大名、その他有力者にも送っているようだ。
インタネットのメール一斉送信がない時代だから、手紙を方々に送るだけでも大変だったであろう。
現代にもあてはまると思うが、戦争には大義名分がとりあえず必要だということですねぇ。


参考書籍

百姓から見た戦国大名 ちくま新書
この本を読むと、戦国当時の百姓達のイメージが変わるかも知れません。百姓達は決して殿様に頭を下げてばかりいて、弱弱しく生きていたのではないことが分かり、また当時の合戦の多くが領民を飢餓から救うために行われたと読み取ることが出来ます。当時、多くの一般庶民は餓えていたんですねぇ・・・。かなり参考になります。

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関連サイト

戦国時代の合戦データベース
姉妹サイト。だいぶネタつきましたが(笑)、日本各地の戦国合戦について簡単に紹介しています。
氏別合戦表
武田氏
桑原城の合戦より〜田野の合戦
織田氏
小豆坂の合戦より〜


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当サイトで撮影したお城、古戦場を動画で紹介。Youtube版。