長篠城の救援が最大の目的

 「戦国合戦大全(上)」で、藤井尚夫氏が興味深い論を展開しています。
通説では、長篠城防衛のための後詰として織田徳川連合軍が出撃したことになってますが、氏の見解では、長篠で織田軍が展開した陣地は、長篠合戦の以前から、徳川・武田の軍事境界線として、ある程度の陣地が築かれていたのでは?というものです。

根拠としては、後詰として出撃したにしては陣地を作って守勢をとったのが不自然だと。 また、「信長公記」に「御身方一人も破損せざるの様に」との記述があり、信長は実際は決戦を望んでいなかったのでは、と(当時の信長の置かれた状況から考えるとありえそう)。
 で、実態としては、主力を防御陣地に留め、後詰用の小部隊を鳶の巣砦に向かわせた。本来ならこの別働隊が鳶の巣砦を落とした時点で、信長にとっては長篠城救援の目的は達したのだが、武田軍は数年来、徳川軍との野戦を狙っていた点、そして長篠城戦失敗の穴埋めとして(この辺、根拠が弱い気がしますが)信長軍に攻撃を仕掛けた。

要するに、本来は鳶の巣戦が主戦場であり、連吾川戦が副次的な戦場だという説です。

合戦検証”長篠の戦い”
挿絵真仁堂のブログ

騎馬武者対処法

歴史群像50「戦国合戦大全(上)」p109には、「武門要秘録」からの引用として「徒立で自分が刀、騎馬武者が槍ならば、まず馬を斬るか、手綱を斬るのが最もよい。また、徒立で武器が槍ならば、相手の内冑か脇の下を突くのがよい」とあるので、戦国後期にはある程度は騎馬武者に対する方法が確立されていたんでしょうね。

合戦検証”長篠の戦い”

開戦直前布陣予想図
青色は川、黄色線は柵

織田、徳川連合軍
(1)大久保隊、本多隊他(2)大須賀隊、本多隊他(3)鳥居隊、松平隊他(4)本多忠勝隊(5)榊原康政隊(6)石川隊(7)平岩隊(8)佐久間隊(9)滝川隊(10)木下隊(11)佐々隊(12)柴田隊(13)丹羽、稲葉隊(別働隊)酒井、金森隊

武田軍
(1)山県、小笠原隊他(2)内藤、原隊他(3)武田信廉、小山田隊他(4)武田信豊、小幡隊他(5)馬場、土屋隊他
(長篠鳶の巣)武田信実 (長篠城監視)高坂、小山田隊他


参考書籍

百姓から見た戦国大名 ちくま新書
この本を読むと、戦国当時の百姓達のイメージが変わるかも知れません。百姓達は決して殿様に頭を下げてばかりいて、弱弱しく生きていたのではないことが分かり、また当時の合戦の多くが領民を飢餓から救うために行われたと読み取ることが出来ます。当時、多くの一般庶民は餓えていたんですねぇ・・・。かなり参考になります。

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関連サイト

戦国時代の合戦データベース
姉妹サイト。だいぶネタつきましたが(笑)、日本各地の戦国合戦について簡単に紹介しています。
氏別合戦表
武田氏
桑原城の合戦より〜田野の合戦
織田氏
小豆坂の合戦より〜


みんなで作る戦国マップ

戦国合戦マップ
yahoo! my map 利用

動画でお城、古戦場

当サイトで撮影したお城、古戦場を動画で紹介。Youtube版。