伊那大島城から見るお城の防衛・戦闘

大島城1
主に武田の城であった伊那大島城を例に城の防御施設や防衛構想を紹介していきます。 ちなみに以下の絵(3DCG)は大島城をモデル参考としたもので、実際の大島城と違う点があります。
さて大島城は合戦時にどのような防衛戦を想定していたのか。
敵が押し寄せることが出来るのは西側の大手門方面であったことは間違いないだろう。背後、南側は天竜川で守られ、北は湿地帯・荒地であったと考えられるからだ。また台地となっていて北南東の3方は崖となっている。 唯一西側は攻城軍が兵数を持って攻め寄せることが可能な場所だが、大きな馬出も設置し、城内への侵入は難しい。仮に攻め込もうとすると、大きな丸い馬出、三ノ丸より銃撃、矢によって攻撃を受けることになる。また大島城には側面より伏兵を繰り出すことが出来るようになっており横槍を入れることが出来る。正攻法で攻めるには攻城側も出血を覚悟しなければならないだろう。
篭城側に兵糧、武器弾薬が揃っている場合、大島城を落城させるには日数を要することになったに違いない。

大島城9

大島城は何度か改修をへて、現在の遺構は1580年頃に改修されたと推定されている。織田・徳川の勢力が強くなってきたための措置であろう。 天然要害の地に築かれ、防御設備も整えられた堅城であったが、大掛かりな戦闘も行われることなく、織田軍の手に渡ってしまう。1582年の織田・徳川の侵攻の際に防戦することなく自落・放棄されたのだ。 この際、城代武田信廉が卑怯にも逃げたという感じを受けるが戦略的にそれは誤りではない。このとき大島城は南北から侵攻されつつあり後詰も期待できない状況下であったからだ。大島城はその真価を発揮することは出来なかったが、大きな丸馬出は大阪の陣において、真田丸として真田信繁(幸村)が築城し敵軍を散々に苦しめ、その高い防御能力を十二分に発揮することになった。

[参考リンク]
長野県・伊那大島城(1) 〜 巨大三日月掘、しかも二重
多分、管理者さんが書かれたと思いますが、分かりやすいです。

大島城2

お城防御施設

ここでは大島城の3DCGも加えて紹介していきたいと思います。

大島城3

馬出し
大島城の大きな特徴として大手の防御として半円形の馬出しがある。この半円形の馬出しの更に規模を大きくしたものが、後の真田丸と言われるものです。丸い形だけではなく四角いものもあります。

空堀
サンプルの絵では空堀のみとなっていますが、現存している大島城の馬出し前の空堀は2重構造となっており、空堀を通って馬出しを攻めることが難しくなっています。空堀の他に水掘がお城では有名ですが、大島城では天竜川が天然の水掘の役目を果たしていたと言えるでしょう。また戦国当時のお城では空堀の方が地形地質の影響からか多く用いられてます。
空堀は通路として使われることもありますが、敵兵の進路を阻む目的で障害物が置かれたり、堀内部の構造を複雑にしたものもあります。(障子堀・薬研堀)

竪堀
主に山城に見られる堀である。山の斜面に作られ、敵の侵入を阻むための堀である。通常の堀は概ね水平なものだが、竪に掘られる為、竪堀と呼ばれていると思う。

大島城4

虎口
入り口といった方が分かりやすいかも知れません。この部分には大抵、堅牢な門が設置されます。戦闘になると、虎口に敵が押し寄せるため、突破されないよう防御度を上げる工夫がされます。上の図は枡形で二つ門を設置しています。仮に一つ目の門が破られても左右より攻撃して撃退できます。
虎口及びその周辺は攻城戦において要となるため、先述の馬出しや櫓を設置したり、門をいくつか設けたりし防御度を高めていることが多い。ちなみに破城される際には、虎口とその周辺を徹底的に破壊したようです。


矢倉とも言われます。図のような井桁状の櫓が一般的なのかも知れませんが、郭の周囲に設置される建物も櫓と言われるようです。井桁状の高い櫓は見張りとしての役割も果たします。戦時では矢を放ったり、鉄砲を放ったりしたと考えられます。

大島城5


柵と言えば長篠合戦における馬防柵が有名ですが、城においてもよく利用されたようです。柵は臨時的に設置することも多かったようで、城の戦闘時に敵の進軍をより多く阻むことを目的として備えられました。 大島城では三ノ丸の空堀の淵に柵を設ければ戦闘時、それを除去し空堀から登ろうとする敵を狙い撃つことが出来、有効であったと思われます。


多くの場合、郭(丸)の周囲を囲むように設置される。木製の頑丈な塀が戦国中世では一般的である。テレビドラマで見るような漆喰の白壁の塀は戦国もかなり後期になってからです。 塀にはその場所により狭間(さま)という穴があり、弓や鉄砲を放つことができるようになっている。

大島城6

土塁
土を盛って作られた障壁みたいなもので、近世に入ると石垣(石塁)に変化していく。空堀を作る際に土を盛ってそれを土塁として活用し、土塁の上に更に塀や柵、櫓を設置することが多い。
土塁の弱点は土であるために大雨等に弱かったと考えられ、定期的に修繕を要したと思われる。

大島城8

銃座
大島城には三ノ丸右手に銃座と思しき場所がある。地形的な事情からか三ノ丸右手に櫓設置による防御度アップが図れなかったために、その弱点を補うために作られたのかと思います。

伏兵郭
城によって防戦のみだけではなく、撃って出るための施設(郭や道)が備えられている。大島城では両脇から横槍を入れることが出来るよう施されている。


参考書籍

百姓から見た戦国大名 ちくま新書
この本を読むと、戦国当時の百姓達のイメージが変わるかも知れません。百姓達は決して殿様に頭を下げてばかりいて、弱弱しく生きていたのではないことが分かり、また当時の合戦の多くが領民を飢餓から救うために行われたと読み取ることが出来ます。当時、多くの一般庶民は餓えていたんですねぇ・・・。かなり参考になります。

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関連サイト

戦国時代の合戦データベース
姉妹サイト。だいぶネタつきましたが(笑)、日本各地の戦国合戦について簡単に紹介しています。
氏別合戦表
武田氏
桑原城の合戦より〜田野の合戦
織田氏
小豆坂の合戦より〜


みんなで作る戦国マップ

戦国合戦マップ
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動画でお城、古戦場

当サイトで撮影したお城、古戦場を動画で紹介。Youtube版。