戦国随一の巨大城

 総延長が約9キロと戦国時代、最大級の城”小田原城”は、上杉謙信、武田信玄、豊臣秀吉と 戦国を代表する武将に攻撃された。
しかし、力攻めでは攻略できず秀吉の兵糧攻めによって開城することになる。

 まず上杉謙信(上杉政虎)による1561年の小田原城攻防戦は上杉軍総勢10万近くの軍勢が 力攻めによって落城を目指した。
 攻略軍は酒匂(下の図秀吉の布陣図を参考にすると、徳川家康が陣取った付近)より小田原城内を 攻撃。当時、民家や武家屋敷が立ち並んでいたものと思われるが、それらを焼き払い、蓮池門辺りまで攻めこんだ。蓮池門は本丸の東に位置しており、そこを突破すれば二の丸であったと思われるが、頑強な抵抗で攻めあぐねることになる。戦闘は膠着状態になり、兵の士気や補給の不安から撤退を余儀なくされている。
武田信玄は1569年に小田原城を攻撃している。北条方の支城を攻撃した後、東京の八王子から 謙信と同じく酒匂から攻撃をしかけるものの、総兵力25000程度ではどうすることもできず、 3日で撤退を開始。この撤退時に有名な三増峠の戦いが起こる。

合戦検証 小田原城の戦い
豊臣秀吉包囲時

謙信、信玄はなぜ小田原城を落とせなかったのだろう

 上杉謙信がなぜ攻略出来なかったかを考えてみると、10万近い軍勢ではあったが、後顧の憂いがあったことが まず上げられる。それは武田信玄の存在だ。また10万の軍勢と言っても完全に服従した軍勢ではなく、 情勢によって、北条方にいつ寝返るか分からない軍勢の寄せ集めであったこともあり、長期の対陣が困難であった。 その上補給面も、特に上杉本隊の軍勢は越後や上野の厩橋城から補給をえる必要があった。
相模にて現地調達しようにも小田原周辺の村々の者達は食料をすべてもって小田原城に避難して、乱取りも 出来ない状態であったことが予測される。北条方は焦土作戦を取ったと言っていい。 これらのことから、上杉軍は短期間で落城される必要に迫られた。
数千、数万の兵の犠牲を覚悟していたなら、ひょっとすると攻略は出来たかも知れない。 しかしながら、武田信玄という天敵がまだまだ元気で頑張っている状態では多大な損害を出すことも 出来ないし、上杉軍以外の武将がその覚悟で小田原城攻略に参加しているとも思えない。
 結局上杉軍は蓮池門までは迫ることが出来たものの、それ以上の力責めは困難と判断し撤退を余儀なくされている。

 1569年の武田信玄の小田原城攻めは、本気で小田原城を落城される気持ちはおそらくなかったものと思われる。武田軍の兵力は約2万5千程度と言われている。上杉軍が10万近い軍勢で攻め落とせなかったのは武田軍も知っているはずだ。ちなみに武田軍も上杉軍と同じ攻め口から侵入したと言われている。
しかし、3日程度で包囲をとき、撤退作戦に出る。謙信同様、長期の対陣は出来ない状況で、いつ北条の支城より、攻撃されるか分からないという状況だから、上杉軍のときよりも状況は悪い。
小田原城完全攻略というより、小田原城を攻撃をしたという事実が重要だったのかもしれない。

豊臣秀吉の小田原城攻略

 1590年、秀吉による小田原城攻撃は20万近い大軍で水軍も引き連れている。北条の近隣の大名達も秀吉に屈服している状態で、後顧の憂い無く攻めることが出来る状況であった。秀吉にするとお祭り気分というと語弊があるかも知れないが、少なくとも負けることはないと思っていたに違いない。北条の主要な支条を落城させていき(忍城除く)、北条への援軍は全く来ない状況であった。
そして上の図のとおり、完璧な包囲網で北条には全く補給路がない状態である。
 こうなるどちらが先に息が切れるかと言う状況であるが、豊臣軍は兵糧の心配をせずに済むし、兵力も北条方の数倍。将棋でいうなら、もう詰んでいる状態である。 結局北条方が現実を受け入れる形で開城となり、北条家は消滅した。


参考書籍

百姓から見た戦国大名 ちくま新書
この本を読むと、戦国当時の百姓達のイメージが変わるかも知れません。百姓達は決して殿様に頭を下げてばかりいて、弱弱しく生きていたのではないことが分かり、また当時の合戦の多くが領民を飢餓から救うために行われたと読み取ることが出来ます。当時、多くの一般庶民は餓えていたんですねぇ・・・。かなり参考になります。

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関連サイト

戦国時代の合戦データベース
姉妹サイト。だいぶネタつきましたが(笑)、日本各地の戦国合戦について簡単に紹介しています。
氏別合戦表
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桑原城の合戦より〜田野の合戦
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小豆坂の合戦より〜


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