当時のお坊さん達はエッチし放題?

戦国時代、お坊さん達は品行方正で、真面目に修行に打ち込んでいた・・・・なんてのはごく僅かで、かなり酷かったらしい。
信長に焼き打ちされた比叡山の坊さん達の所業の酷さは『多聞院日記』のとおりで坂本の町で遊びまくったようだ。
比叡山以外の坊さん達も人の家にあがりこんで女の子に悪戯したり、遊女を買うなんてこともあったとされてる。
ちなみに人の家にあがりこむというのは、お坊さんが他人の家に泊まれるという特権をもっていたからで、それを悪用して女性を抱いていたらしい。(売聖と言った)

※『多聞院日記
奈良興福寺の塔頭多聞院において、文明10年(1478年)から元和4年(1618年)にかけて140年もの間、僧の英俊を始め、三代の筆者によって延々と書き継がれた日記。(wiki)


体格さえよければ即坊主に採用?

当時各お寺さんは自分の土地を持っていた。でもそれを奪おうとする人達がいたり、飢饉等で収入があがらないと逆に奪いにいくなんてのが日常茶飯事だった。
つまりそんな状況だから少しでも人手が必要なわけで、修行をちゃんと積まなくても坊さんにしてしまったらしい。
お寺に就活する輩も、戦で命の危険があるとはいえ、おいしい特権があるってことで、勉強なんてほったらかしの腕っぷしの強い荒くれ共が多かったんじゃないかな?
当然、戦国時代に急に坊さんの質が落ちた訳ではないだろう。
墾田永年私財法(743年)による土地の私有化にはじまり、その後食糧不足による戦の頻発、土地の奪い合いが続き、ヤクザもビビリそうな集団になっていったんでしょうね。


現在のお坊さんのイメージと全然違い、ただの不良の集まりに近く、煩悩だらけ。
まぁ煩悩を肯定する宗教もあったようだからなぁ・・・。

しかし坊さんまで女の子に手を出すって、当時のか弱い美少女は少し遠出をするだけでも危険がいっぱいやね・・。


ちなみに尼さんも

戦国時代の風俗』にて比丘尼について少し紹介し、彼女達が時には戦場に赴いて体を売っていたと書いたが、ルイス・フロイスもこのことについて『日欧文化比較』にて、尼さんは風俗嬢と変わらないと紹介しているのだ。
しかし彼女達はどんな修行をしていたのだろうか・・。やっぱりエッチ?(笑)

お寺でエッチをする尼さん


念のため・・

戦国時代の日本では、坊さんも尼さんも春を買ったり春を売ったりしていたけれど、真面目なお坊さん、尼さんも当然いた訳で、すべてのお寺で悪い事、いやらしい事ばかりしていた訳ではないですよ(笑)

風俗の体験談からお店選び

最近ではどの風俗店でもホームページを持っていますが、ホームページを見ても実際にどんな女の子が来てどんなプレイが出来るのかよく分からないことが多い。「この裏まで丸見えっ!| 動画付風俗レポート」では、ネットにある体験談を元に動画も含めてお店のプレイ内容を紹介しています。

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室町時代には"湯女"がいる大衆浴場があり、女性が殿方のお相手をしたということ。現在でいうソープに近いものです。
現在のソープはどんなものか?一度ホームページをご覧下さい。
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