ピーヤ ~戦地には兵隊だけでなく、慰安婦達も派遣された~

兵を慰めるために
ピーヤとは慰安婦達がいる施設のことで、TVなどで従軍慰安婦の問題が報道されるが、わかりやすくいえば、慰安婦達が働いていた売春宿のことである。
ちなみにピーヤのピーは中国語で女性のアソコのことである。

戦争時に軍隊と一緒に慰安婦が伴ったり、戦地にて風俗嬢達が商売したのは、大東亜戦争にはじまったことではなく、すでに戦国時代にも『御陣女郎』や『比丘尼』という軍隊をお相手した娼婦が存在していた。
豊臣秀吉による小田原城の戦いでは、豊臣方、北条方共に娼婦を呼んで遊んでいたと『北条五代記』にも残っている。

大東亜戦争における従軍慰安婦の派遣のきっかけは、日本軍による中国での乱暴行為(強姦等)がひどく、彼らの性的鬱憤の解消のために日本国内の風俗嬢達が派遣された。

しかし戦争が拡大していくと、日本国内の風俗嬢では間に合わなくなっていき、朝鮮のみならず、フィリピンからも慰安婦を調達し、戦地へと送り込んだ。 このことが戦後から数十年たった今でも問題になっている。
(⇒従軍慰安婦の問題)

従軍慰安婦達の仕事であるが、現在の風俗嬢と比較にならないぐらいに忙しく、1日にお相手する男性の数は数十人だったとある。また休日もない。
息つく暇もないというか・・・、ご飯をまともに食べる暇すらないから、慰安婦の管理人が彼女の控え室のベッドの枕元に握り飯を配って歩いていたと記録に残っていたりする。
平成の現在、デリヘル、ソープ、SM等の風俗が溢れかえっている日本では、風俗嬢(ヘルス嬢、ソープ嬢)がつくお客の数は2人~4人程度である。(ボウズで帰る女の子もちょこちょこいたりする・・・)

慰安婦所(ピーヤ)で兵隊達が彼女達に発射するためにはお金がかかった。彼女達もお金が目的で働きに行った。また募集に行った女性は国内の風俗嬢で、当時の日本政府からも『風俗経験者に限る』との指示が残っている。(しかしながら騙された在日朝鮮人もいたらしい)

当時の一等兵のお給料はだいたい5円であったが、外国の戦地へ行くと、海外勤務手当みたいなものが含まれて、約20円程度のお給料になったらしい。
そして彼女達とのお遊びのお値段は3円~5円程度で、一応、値段、時間は司令部が決めていた。
慰安所での報酬である程度稼げた慰安婦もいただろうが、当時の支払いが現金ではなく軍票で行っていたことや、また軍票の乱発によるインフレと戦後、軍票の一方的に無価値にしたこともあって、多くの慰安婦は苦虫を噛み締める思いとしたんじゃなかろうか?
慰安婦のお給料の実態に関しては従軍慰安婦の報酬と慰安婦と軍票にて詳しくまとめています。

男の哀しい性が・・
ピーヤの構造は現在の店舗型ヘルスに似ており、1畳ぐらいのところに布団がしいてあり、そこで休むまもなく兵隊達のお相手をした。現在ではソープランド、ヘルスでは60分コースや120分コースなどゆったり?できるが、ピーヤではそんな時間もかけることもできず、部屋の扉のすぐ側で、次の兵隊が今か今かと待ち構えている状態で、ちょっとでも時間が遅いと扉を蹴飛ばして、喚き散らしたりという状態であったらしい。
また花柳病の防止のために兵士達にはコンドームが支給されたが、現在のようなゼリーが塗布されたものではなく、乾いたものであった。 つけてもすぐに破れたのか、妊娠した慰安婦もいたようです。

『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるさんの漫画でもピーヤに行列を作って、遊びに行く様が描かれているので、是非一度、読んで見てください。