近代の遊郭
江戸時代より、吉原が公認もされて有名であったが、明治時代に入ってから吉原だけでなく、江戸時代には公認されていなかった風俗(飯盛り女など)も規模が大きくなり、遊郭として認知されるようになり、賑わうようになった。
公認されていないながらも、黙認、若しくは、しぶしぶの公認によって江戸時代から宿場の風俗街は賑わいを続け(吉原よりも比較的なリーズナブルなお値段でお遊びができた)それは明治に入ってからも続いた。
東京では品川、新宿、板橋、千住が吉原の遊郭に負けないぐらいの風俗街となった。
ただし、江戸時代の遊郭と若干違うのは、女性の写真を掲げるようになったことで、これは大正時代に、女性を侮辱していると騒がれたからである。
ちなみにこのころの遊郭のお遊びの値段はお泊りで約5円〜10円と言った感じです。
当時、サラリーマンの平均給与は20円〜30円ぐらいと考えるとそこそこのお値段で、特に由緒ある吉原は、一般庶民や軍人(特に下級の)などの公務員にとってはなかなか遊べない場所ではあったものの、品川、新宿などは1時間程度で2円ぐらいと言うサービス(現在でいう”ちょんの間”)で遊女達も邪険なことはしなかった(長々待たせたりせず)ので、彼等が遊ぶときはそういうところを利用したようである。
公認されていないながらも、黙認、若しくは、しぶしぶの公認によって江戸時代から宿場の風俗街は賑わいを続け(吉原よりも比較的なリーズナブルなお値段でお遊びができた)それは明治に入ってからも続いた。
東京では品川、新宿、板橋、千住が吉原の遊郭に負けないぐらいの風俗街となった。
ただし、江戸時代の遊郭と若干違うのは、女性の写真を掲げるようになったことで、これは大正時代に、女性を侮辱していると騒がれたからである。
ちなみにこのころの遊郭のお遊びの値段はお泊りで約5円〜10円と言った感じです。
当時、サラリーマンの平均給与は20円〜30円ぐらいと考えるとそこそこのお値段で、特に由緒ある吉原は、一般庶民や軍人(特に下級の)などの公務員にとってはなかなか遊べない場所ではあったものの、品川、新宿などは1時間程度で2円ぐらいと言うサービス(現在でいう”ちょんの間”)で遊女達も邪険なことはしなかった(長々待たせたりせず)ので、彼等が遊ぶときはそういうところを利用したようである。