公娼制度とは何か

公娼制度とは、簡単に言えば、娼妓として稼ぐことを望む者に対して、国家が許可を与える制度である。 間違えてはならない点は、あくまでも公認された売春が存在したのであって、売春そ のものが公認されたわけではないということ。そのため、私娼は摘発の対象となって いる。

そもそも、売春は近代国家にとって望ましいことではない。 道徳的な問題のみならず人身売買などの組織犯罪、通常犯罪にかかわることが多く治 安上の問題でもある。売春そのものは”被害者なき犯罪”とも呼ばれるが、付随する 犯罪を放置することは出来ない(売春・賭博など被害者自らが犯す犯罪であるため、 被害者なき犯罪を非犯罪化すべきとの意見もあるが、決闘などを考えればわかるよう に「被害者自らが犯す」ことが非犯罪化してもよい、とは必ずしも言えない)。

人権思想が確立する近代以前は、人身売買も特に犯罪とされていない。(江戸時代に は人身売買の禁令が出ているが、年季奉公という形式での身売りはなくなっていな い。むしろ年季奉公の形式となったことにより、売られた者が逃亡した場合の保険と することができたと言う見方もできる)。

さて、売春に付随する犯罪を取り締まるには、二つの方法がある。

一つは、売春そのものを禁止し摘発する、という方法。 しかし、この方法は売春でしか稼げない女性の収入を奪うことにもなるため、売春婦 の更正といった社会保障とセットでなければならない。また、売春自体が地下に潜 り、より組織犯罪と密接になる可能性も高い。

もう一つは、売春婦を登録し管理する、という方法。 売春そのものを犯罪とするのではなく、公式に管理することにより付随する犯罪を除 去するという方針である。道徳的な問題を除き、かつ適切に管理されているなら(つ まり完全に本人の自由意志に基づく売春なら)この方法でも問題はないだろう。 これが、公娼制度である。

つまり、公娼制度の根幹は、売春婦が自由意志によって売春婦たることを望んでいる ことを公式に確認した上で初めて許可する、という点にある。 これは、売春に付随する犯罪を除去するために必要な施策であって、そのため許可を 得ていない私娼は犯罪とされるのである。

したがって、公娼制度は自由売春を認めたものではない。

もう一点重要なことは、売春自体も禁止すべきとまでいかずとも、望ましい業種では ない、という点。

明治時代には、既に公娼制度に対する賛否両論が存在しており、否定論としては大阪 新報に記載された文章が挙げられよう。「紳士紳商と申すやからの夫人の境遇は如何 (いかん)。夫は社交と称し醜業婦と日夜戯れ、若い女に号数をつけ妾に囲ってゐ る」「妻君は夫の不品行・醜態の数々に知らぬふりをし、嫉妬(しっと)せぬと賢 女、貞女なりと世人はいう」「私は遊郭(ゆうかく)の女性たちを醜業婦と呼んだ。 ああ、自分の尊大さが恥ずかしい。我も人、彼女たちも人、同胞なのだ。聖なる婦人 に春をひさがせる悲惨な境遇こそ、憎まねばならぬ」
(参照:管野スガによる記事 http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa050604.html

「醜業」と呼ばれる忌み嫌われる職業が売春であった。廃娼運動家だけではなく、一 般的な認識として売春婦が望ましい業種ではないと考えられていたことは、次の一文 でもわかる。「船会社に押しかけ、かかる悪習(引用者注:沿岸の貧しい漁師の妻や 娘たちが船客に春をひさぐこと)を絶つように要望したが、「これはな、経済的困窮 (きゅう)者のための人助けや」と軽くあしらわれた。」(同上URL) 経済的困窮が売春を行わせる動機になっていることを買春側も理解していることを示 すエピソードである。

これらを考慮すれば、社会が豊かになるにつれ、売春婦は本人の自由意志に基づく者 以外いなくなるはずであり、しかもそれが極一部であろうと容易に想像できる。「醜 業」と呼ばれる忌み嫌われる職業に望んで就く人間は多くはないし、なるべくいない 方が社会として健全である、というのが国家指導者が目指すべき社会像であろう。

したがって、国家は売春を希望する者に已む無く許可を与えることはあっても、決し て国家自ら売春婦を募集してはならない、と言える。少なくとも公式な立場として、 上記の方針を持つことが近代国家としての条件ではないだろうか。

日本軍の従軍慰安婦制度は、これに抵触している点で問題と言える。